Non-Puitsの歴史


◎創刊

 湧源クラブの設立当初から、公式な機関誌として Un Puits de Scienceがあった。これは財団法人数理科学振興会へお金を寄付してくれる企業や団体への活動報告ということにもなっていた。そのため Puits は堅苦しくて、全国に散らばったクラブ員の間の、自由なコミニュケーションの場にはあまり適さないことから、小林正典さん、遠藤哲郎さんなどが中心となって、Puits に対するもう1つの雑誌という意味で Non-Puits が企画された。第1号は1984年4月26日に発行されている。
 当初はノートに手書きで書いたものをコピーして、全員に送るという形態をとっていた。編集も運営委員でない人が行っていたようである。(遅くとも1987年以降〜1997年までは運営委員会のNon-Puits係が編集発行)
 
 
 

第1号のNon-Puitsの巻頭ページ
(良い画像で読みたい人は,ここをクリック!注:579kbあります

 
Non-Puits(ノンピュイ)発刊のお知らせ
 会員の相互連絡,まだまだと痛感致し,連絡をしようとしても
いろいろ経費がかかる.そんなとき脳裏に浮かんだノンピュイのこと.
ノンピュイは単にピュイの否定ということではありません.という
よりも,どんなものになるかその性格はほとんど決まっていません.
というより決めていません.自然成長に任せます.つまり,会員の
自由な働きかけにできるだけ任す,という意味で湧源クラブそのものの
考えに近いと思います.
 本当は運営委のメンバーで第1号を出すことにはひっかかりを感
じたのです.それはともかく,提言ー投稿・イラスト他をよろしく.
JUMPUITSと(準ピュイ)とは違った方がいい・・・.
(Non-Puits1号に掲載された「発刊のお知らせ」より)

 

◎それから…

 1986年に発行された16号から、B4の紙にコピーし,それを半分に折って重ねた、B5の冊子形態で発行されるようになった。クラブルームでの出来事、コピー代の請求のお知らせ、セミナースタッフ募集のお知らせ、イベントのお知らせと報告、さまざまな気取らない投稿などを載せ、クラブの活動を支える欠かせないメディアとして成長した。一部の人に根強く人気があったのが、「かいわ」という表現である。これは当時の PC-9801 のワードプロセッサの「倍角」「半角」といった表現力を精一杯生かした会話の記録の試みで、クラブルーム近辺の出来事を面白おかしく記録したものであった。
 
ひごろのかいわ
PART1・・・コーヒー編
某U氏   やぁ,こんにちは.(いつもの調子で)
某O氏   明るく)おっはようございまーっす.
  注:ちなみに帰る時は「おやすみなさーい」である.
某Ma氏  (腕を組んで)相変わらず,おはようございますにぃ.
某O氏   (首を左右に振りながら)いいもん,いいもん.(むくれる)
某A嬢   コーヒー入れましょうか?飲む人!
  人々,は〜いと手をあげる.
某F氏   (しばらくしてキーボードから手を離してふりむいて)コーヒーか.そ
       うかそういうものもあったんだなぁ.あ,あの〜.砂糖大量にして.
某Ma氏  彼の言う大量とは:………わかってるにぃ?
某全員 but某F氏 う〜む
某F氏   う,“う〜む”されてしまったか.
(とある号に掲載された「ひごろのかいわ」より)

◎関西支部発行の「Non-Puits」?

 Non−Puitsは一貫して東京地区での発行だが,1987年5月18日,一度だけ,「Non-Puits関西支部製作版」なるものが発行されたことがある.
 これは,当時設立されたばかりの関西支部において,情報を発信する試みとして発行されたものである.
 ただ,電話と郵便くらいしか遠距離での通信手段がなかった当時,東京と関西と離れて連絡をやりとりするのはやはり大変だということになった.そこでこの経験を活かし,その後関西支部では独自の機関誌「Un Petit-Puits」を創刊することになる.
 
 

関西支部発行のNon−Puits

 

◎コンピュータ郵便の導入へ・・・

  湧源クラブの会員数が増大するにつれ、Non-Puits の印刷、発送作業は困難になっていった。通信費を払っていない会員には Non-Puits は送らないが、それでも400人から500人にまで増えた会員全員に連絡する必要のある、近況報告用紙などの郵便物の発送は、運営委員が徹夜でコピー、封筒詰め、発送作業をすることになる。

 この問題を解決するため、1989年(第7期運営委員会)に、「コンピュータ郵便」を導入した。Non-Puits35号がテスト版とされ、36号から本格的な導入となった。。
 コンピュ−タ郵便は日本橋郵便局がダイレクトメール用に始めたサービスだ。コンピュータで作成した原稿とデータベースの住所のデータをフロッピーディスクでそのまま持っていくと、郵便局で印刷、発送してくれるというものである。大量の郵便物をあらかじめ郵便番号でソートしてから印刷するため、人件費が節約できるので、非常に安い。それまで年間1400円だった Non-Puits の通信費も、1000円に値下げされた。
 湧源クラブのほかでは、このシステムを銀行やポケットベル会社などが利用している。

 データファイルは、郵便局指定の特殊な形式になっていて、テキストファイルから変換してつくらなければならない。そのためのソフトウェアは、大型コンピュータ用のものは郵便局が貸し出しているが、パソコン用のものはなかったため、細谷俊彦さんが専用のソフトウェア「恋文横町」を Turbo Pascal で開発した。現在、箕浦逸史さんが更に改良したバージョンが使われている。

(注)「恋文横町」は、戦後まで渋谷にあった恋文横丁という横丁の名前にちなんで付けられた。飲食店のほかに、代筆屋が多くあったため、この名がついたらしい。今でも、「恋文横丁跡」という看板がある。ソフトの名が町の字になったのはおそらく何かの間違いである。
 
 

コンピュータ郵便の封筒

 

◎コンピュータ郵便時代のNon-Puits

 コンピュータ郵便によってNon-Puitsの編集・発送はずいぶん楽になった。購読者が100人いようが600人いようが、発送の労力は全く変わらない。そうなるとこんどは、購読者の少なさが気になり始めた。
 購読者の少ない原因のひとつは、コンピュータ郵便の味気なさだったと思われる。コンピュータ郵便には、「本文は、テキストファイルでA3×2枚までで全角文字しか使えない。手書きのできる同封物は4枚まで」という制約がある。このため、Non-Puits の内容は量的にも質的にも制限を受けていた。
 そのためいくつかの努力がなされた。90年(第8期運営委員会)には、運営委員のほかに Non-Puits 編集委員(江頭港さん、小沢雅樹さん)を置き、コンピュータ郵便の同封物という形で従来の Non-Puits に似た手書きのページを設けたりしたが、長続きしなかった。一方では関西支部の Un Petit Puits が多くの人を惹き付ける雑誌となっていて、運営委員は 「Un Petit Puits に負けない Non-Puits を!」と Yu-Net や湧源クラブメーリングリストからの記事を載せるなど、さまざまな工夫を凝らしてきた。
 懐かしい(?)コンピュータ郵便時代のNon-Puitsの一例を見たい人は,ここをクリック!(35kbite)

 また、従来、購読者は郵便振込で購読料を払うことになっていたが、この面倒な手続きも購読者を減らす一因ではないか、という考えから、1990年(第8期運営委員会)からは購読料を切手で払ってよいことにした。また、1994年(第12期運営委員会)からは郵便振込用紙を用意し、振込先、金額まで書き込んで全クラブ員に送る、ということまでしている。
 

◎冊子のNon-Puits復活

 コンピュ−タ郵便には、内容の制約の他にもう1つの弊害があった。作業が1人の人に集中し、その他の人にとっては楽になりすぎたのである。以前は、作業の膨大さから、必ずクラブルームに人を集めて印刷・編集・発送を一緒にやっていた。これがお互いのコミュニケーションの機会になっていたのだが、コンピュータ郵便はほとんど1人で作業が終わるために、そのような機会がなくなった。

 1993年(第11期運営委員会)に、これらを見直して、手製の冊子形式による Non-Puits を再び復活させることにした。ただし、手製の Non-Puits は比較的部数の少ない購読者向けのNon-Puits に限り、全員への連絡を送る号はコンピュータ郵便を使うという使い分けをすることで、負担を減らす工夫を行った。数理科学振興会にお願いして高速でコストの低い印刷機を買って頂くことで、印刷の手間と費用をかなり減らすことができた。この結果、購読者向けのNon-Puits はB5版で28ページ(これは郵送料の安い50グラム以下での最大のページ数である)、もちろん手書き文字や絵・写真も可となり,現在のNon−Puitsの形式スタイルが生まれた.
 また、1994年(第12期運営委員会)からは,購読者向けのNon−Puitsの編集・製本・発送の作業の日を休日に設定してあらかじめ公表し、積極的に参加を呼びかけることを始めた.これによって運営委員でない人も含めて毎回15人程クラブルームに集まるようになり,これまで「作業」だったNon−Puits編集が,「イベント」になるという現在のNon−Puits編集のスタイルが生まれた.

 この冊子形式になって以来,最大の人気コーナーはやはり,「編集後記」であろう.編集後記は,編集・製本・発行作業の当日にやってきた人が,手書きで一人当たり数行程度書きこんだものを裏表紙の裏側のページに掲載している.内容は本人の自己紹介や近況報告,一発ギャグ(?)などであるが,これを毎号眺めているだけで,「今,関東の湧源クラブでどういう人が活躍しているのか?」が把握できる.「実は,これが楽しみで購読している」人もいるとかいないとか・・・.
 

新冊子形式のNon-Puits

◎全員への連絡を分離へ・・・

 Non-Puitsはコンピュータ郵便化された1989年以来,「原則として購読料を払った人のみに送る(購読者向け).ただし,運営委員会の選挙公報など、重要な記事が掲載される号には湧源クラブ員全員に送る(全員への連絡)」という体制になっていた.
 しかし,「購読者向け」が冊子形式に変更された1993年(第11期運営委員会)以降,「購読者向け」は冊子形式,「全員へ連絡」はコンピュータ郵便と発行形態が異なるようになった.また「全員への連絡」は事務的な連絡事項のみに内容が限定さる一方,読者の投稿は「購読者向け」に集約されるようになった.このため,「購読者向け」と「全員への連絡」は事実上まったく異なる2つの機関誌と言って良い状態となり,にも関らず同じ「Non-Puits」という名称がつけられ,号数も通し番号がつけられるという判りづらい状況になった.
 そこで,1995年(第13期運営員会)には機関誌名の変更が行われた。

「Non−Puits 購読者向け」→「Non−Puits」(有料/読者の投稿など)
「Non−Puits 全員への連絡」→「Zen−Puits」(無料/重要な連絡)
 「Zen−Puits」の"Zen"は,「全員への連絡」の"全"にこじつけて付けられたネーミングである.これによって両者は別の機関誌ということになり,分かりやすい構成となった。

 
◎関東支部創設

 1998年(第16期運営委員会)に「関東支部」が創設され,今まで運営委員会で行ってきた活動の一部が関東支部に移されるされることになった.これに伴い,Non-Puitsも関東支部の発行となった.

◎2001年度以降

 2001年度から,財団法人数理科学振興会から湧源クラブ運営委員会に対する財政援助が無くなった.これに伴い,湧源クラブの機関誌状況が大きく変わることになった.
 まず,運営委員会の予算を使って無料で会員全員に配布されてきたZen-Puitsの発行が難しくなり,廃止されることになった.そこで,これまでZen−Puitsが担っていた,「重要な連絡を会員に伝える」役割をNon-Puitsが(有料のまま)受け継ぐことになった.
 また,Non−Puits自体も,基本は独立採算とはいえ,「セミナー新規参加者に対して翌年3月まで無料配布を続ける」名目で運営委員会からの資金援助を受けていた(実際には,印刷機や紙の現物支給という形式での支給)のだが,これも無くなった事から,年間購読料を1500円→2000年に値上げすることになった.ただし緩衝措置として,従来「翌年3月まで」だったセミナー新規参加者に対する無料配布を,「高校生のあいだ」へと延長することにした.
 さらに,Non−Puitsは(既に2000年度から有料化されていた)Un Puits de Science増刊号(住所・近況報告集)事業との連結会計を取ることになった.これに伴いNon−Puitsは,運営委員会と関東支部との共同事業になった.運営委員会が,購読申し込みの受け付けや購読料の管理を行い,関東支部が編集・発行作業を行うという分担である.
 

★Non-Puits年表
 
1984年
 4月26日創刊
 1〜6号発行
1985年
 7〜13号発行
1986年
 14〜18号発行
 16号から,冊子形式に
1987年
 編集員:白石春子,清史弘,山本健治(第5期運営委員会)
 19〜26号発行
 関西支部発行版(5/18)
1988年
 編集員:宇佐美徳隆,江頭美和,小川純人(第6期運営委員会)
 27〜34号発行
1989年
 編集員:松田達志,藤田あかね,木本美香((第7期運営委員会)
 35号〜42号発行
 36号から,コンピュータ郵便化
1990年
 編集員:箕浦逸史,吉田大介(第8期運営委員会)
 43号〜53号発行
1991年
 編集員:内村太郎,小林研介(第9期運営委員会)
 54号〜64号発行
1992年
 編集員:内村太郎,加藤公一,工藤誠也(第10期運営委員会)
 65号〜75号発行(全員への連絡8回,購読者むけ3回)
1993年
 編集員:鈴木通仁,加藤公一,生田ちさと(第11期運営委員会)
 76年号〜90号発行(全員への連絡7回,購読者むけ8回)
 78号から,購読者向けのみ再び冊子化
1994年
 編集員:北畠徹也,広谷美紀,南道人(第12期運営委員会)
 91号〜104号発行(全員への連絡6回,購読者むけ8回)
1995年
 編集長:寺沢憲吾(第13期運営委員会)
 105号〜115号発行(全員への連絡2回,購読者むけ9回)
 107号を最後に,全員への連絡は「Zen-Puits」と名称変更してNon-Puitsから分離
 以降,購読者むけのみをNon-Puitsと呼ぶようになる.
1996年
 編集長:渡辺伸(第14期運営委員会)
 116号〜123号発行
1997年
 編集長:小沢亮介(第15期運営委員会)
 124号〜131号発行
1998年
 発行元が,運営委員会→関東支部に変更
 編集長:成川淳
 132号〜140号発行
1999年
 編集長:成川淳→小島武仁
 141号〜149号発行
2000年
 編集長:小島武仁
 150号〜157号発行
2001年
 編集長:小島武仁→清水秀治
 158号〜


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